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赤門_鹿城稲門会から_edited.jpg

​東京
鹿城会

東京鹿城会について

旧制佐賀県立鹿島中学、同鹿島高女、新制佐賀県立鹿島高校の卒業生 及び関係者の関東地区在住者の同窓会として「東京鹿城会」が 第2次 大戦後に活動を再開したのは、昭和27年だった。

それまでの関東鹿城会(鹿島中学の明治・大正期卒業生の会)、松操会 東京支部(鹿島高女の同窓会支部)、在京学生鹿城会(鹿島高校出身の 上京学生の会)が統合した組織であった。

東京鹿城会は年1回の総会(会場は昭和30年代までは参議院または 衆議院議員会館、その後、昭和50年代前半までは半蔵門会館が多かった)、 会員名簿の発行(昭和29年8月、32年6月、34年6月、39年5月、43年5月に 発行)、会誌『鹿城』の発行(昭和29年12月に創刊号発行。その後、 30年から33年にかけて6月、12月の年2回発行、34年から39年にかけて 毎年6月の年1回発行。第13号まで発行)などを行い、総会には150人前後の 同窓生が集まり、母校から時の校長などの出席を得て盛大に開かれていた。

しかし、昭和50年代に入り出席者が徐々に減少し、独自に総会を開くことが 困難となってきた。このため、中堅同窓生の親睦組織として昭和41年に 発足していた「鹿城赤門会」と合同の形で総会を開くに至り、その後、 平成2年に鹿城赤門会が発展的に解散して東京鹿城会に一本化し、それまでの 鹿城赤門会の定例行事であった毎年10月の総会開催を継続した事業として 今日に至っている。

この総会には母校から現職校長や同窓会会長を来賓として招き、毎年 百数十名以上の同窓生が参集してにぎわっている。

総会の運営は鹿城赤門会以来の伝統となっている卒業年度順送りの当番 幹事が担当している。

「丹塗りの校門 -鹿島中学・高校ものがたり 鹿城人国記-(赤坂賢治著)」より

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